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サカナ★スタイル 特集

THEWATTER

LIVE info
2014年3月27日(木)下北沢CLUB Que
  • THEWATTER/橋本孝志[橋本孝志(Vo./ex.THE CHEWINGGUM WEEKEND)、
    上田禎(Pf.Gu.)、脇山広介(Dr./tobaccojuice)]/ソレカラ
  • OPEN: START 18:30 / 19:00
  • ADV: DOOR ¥2,300 / ¥2,500 [1D別]
  • チケット発売日: 2/7

ある人は「恋と仕事にあけくれな連中にささげるコンバットロック!!」と。
またある人は「やさぐれていて開き直れずもがいてる。がけっぷちで身代わりになってくれる歌」と。

またある人は「THEWATTERを聴いていると遠回りをして帰りたくなります」と。

そして自分たちでは、
「硬派ヘタレロックバンド」と・・・!!

吉祥寺での出会いをキッカケに2008年結成された、
Vo.清水英明、gt.志賀圭一、Ba.石指拓朗、Dr.山口ヒトシからなる4人組のロックバンド

THEWATTERインタビュー バンド結成エピソード

場所:吉祥寺ハモニカ横丁
インタビュアー:利根川

――ヒデさんとタクローさんは鳥取出身なんですよね?

タクロウ(ベース) はい。小一から20年間、ずっと一緒ですね

――ちなみに年齢構成は?

シガ(ギター) ヒデくんタクくんが26、ドラムのぐっさんが30過ぎ、僕が44ですね。めちゃめちゃな年齢構成(笑)

――そんな年齢のバラバラな4人がなんで一緒にバンドをやることになったんですか?

シガ もともとタクローくんが吉祥寺ハモニカ横丁のバーで働き出して。僕もハモニカにはよく入り浸ってて。ここの界隈って音楽が好きな人がくると、すぐ噂が回ってくるんですよ。

タクロウ 根強い常連客とかいましたよ。やっぱ金のないとこには金のない人が集まるというか(笑)音楽やってる友達とかみんな来てくれるんですよ。でも売上なんてほとんどないし。僕が勝手にそのへんにある酒とか出して(笑)。「これ、僕が買ってきたお菓子だから食べていいですよ」とか言って(笑)

――そこにヒデさんが常連みたいな感じで通ってたんですか?

ヒデ(ボーカル) 遊びの延長で来てたんすよね。僕は当時、名古屋の大学を中退して、上京して板橋の居酒屋で働いて寮に住んでました。幼馴染の同級生が店長やってる居酒屋で。当時大阪に住んでいたタクロウが東京に上京して三鷹に住み始めたので、俺も三鷹に引っ越してパチンコばっかりやってました(笑)。

タクロウ 僕ら田舎で育ってるから東京の集合住宅での音事情ってわかんないんすよ。で、たまたま一番最初に住んでた家が4階で音とか気にしなくてよくてガンガンギター弾いてたんすよ。で、こいつもお金がどんどんなくなって、6万のマンションから、共同トイレ、風呂なしアパートに引っ越すんですけど。筒抜けなんですよ、音。安い物件って必ずワケアリの人が住んでて。隣人が老親子。おばあさんと息子ひとりが。その隣人がすごいノイローゼ気味の手紙を送りつけてきたり(笑)。2年半ぐらいそのボロ屋に住んで、一度いいところに引越したんだけど、結局今はまたそのボロ屋に出戻っているという(笑)

シガ そんなある日、僕はタクロウくんのBARにひとりで飲みに行ったら、ヒデくんが反対側のカウンターにショボーンって座ってて(笑)。

ヒデ たぶんパチンコで負けた日だったんでしょうね(笑)

シガ で、たくろーくんが「こいつ幼馴染なんですよー」って紹介してくれて。そんで「実は明日ふたりでライブやるんですよ」って言うから。「じゃあ俺も入れてよ!」って酔った勢いで言って(笑)池袋のトライのイベント。ちょうど僕もバンドなくってひとりだったからタイミング良くて。次の日、トライに行って、僕も曲もなんも知らなかったけど、大学ノートに歌詞とコードだけ書いてもらって、ライブハウス前の路地裏でちっちゃい音で3人で合わせて(笑)そのままライブをやったのが最初ですね。

――THWATTERの誕生ですね?

シガ いや、まだ名前はTHEWATTERじゃなかったよね?

ヒデ 「清水ラララと石指ルルルfeatシガスカオ」(笑)

タクロウ 今歌ってる曲はその時点でほとんどあったんだよね?

ヒデ 最初のアルバムに入ってる曲がほとんど。

シガ ヒデくんはそれまで全然バンドとかやったことなかったんですよ。でも一番最初にその路地裏で大学ノートに書いてもらった曲はすごいくい曲で。「ラララ」とか「YOU」とか。全部循環コードで進行は一緒なんだけどね。で、そのライブも割と盛り上がってうまくいったから、そのあとも3人でアコギで何回かライブをやってたんですよね。

――なるほど。ドラムの山口さん(インタビュー当日は欠席)はどういった経緯で加入されたんですか?

シガ ドラムのぐっさんは元々トライの店員だったんです。最初ドラム叩けるなんて知らなかったし、チュルチュル頭ですごい気持ち悪いし(笑)、「キチガイみたいなやつがいるなあ、あんましゃべらんどこー」って思ってて(笑)。そうしたら、トライで「ぐっさんの誕生日イベントをやるからフォークトリオで3人出て!」って言われて。で、3人で出るんだったら、ぐっさんがドラムが叩けるらしいから「バンド編成でその日はやろうぜ」ってなって。ぐっさんはそれまで僕らの曲は何回も聴いてたから、ライブはぶっつけ本番でやったんすよね。そしたらぐっさんがドラムがまともに叩けることを初めて知って(笑)そんでもうバンドになっちゃった感じですね。当時はなんにも考えてなかったなあ(笑)

タクロウ ぐっさんは掘り下げていけば天然記念物なんですよ(笑)。ドラマーに収まっているのがすごいというか。ミステリアスな部分が多すぎて(笑)。

シガ 嘘ばっかりつくの。95%嘘だよね(笑)なんであんなドラムがたたけるのかが不思議

タクロウ ぐっさんが昔トライで働く前は、本気のバンドをやっていたらしいんですよね。岩手から地元の仲間で「一発当てるぞ!!」的なテンションで上京してきて。ガチの喧嘩をしてバンドが解散して、その後ドラムアレルギーが出るぐらい、バンドの解散がトラウマになってたみたいで。多分ぐっさんが20代後半くらいですよね。

ヒデ ぐっさんはねじれ具合が普通じゃない(笑)処女の乙女心ですから(笑)

シガ 僕らが3人で弾き語りしてるうちに、入りたくなったみたいで(笑)彼は年上とか権威に弱い。あと外人に弱い(笑)外人に会うと超テンション上がるもんな?(笑)最初、「俺はアイルランド人だ」みたいなこと言ってたもんな(笑)

タクロウ ぐっさんは90年代のニルヴァーナとか、レッチリとかにもろ影響受けてて。もろデイブグロールみたいな時ありますもんね。

――なんとなく分かるような気がします(笑)THEWATTERの滑り出しは順調だったんですか?

シガ それからTHEWATTERになって新宿や下北や都内のいろんなライブハウスに出るようになって、すぐノルマ地獄に陥って(笑)。

タクロウ ノルマ地獄はひどかったですね。おかげで僕ら風呂なしですからね(笑)

ヒデ 月4本とか強引にブッキング入れて「地獄のツアー」と銘打って。「死にかけツアー2009」だったっけ。(笑)

シガ そうそう、会場に入る段階で誰も金を持ってないという(笑)ノルマがあるのに。

タクロウ あれはヤバかったなー。どうにかシガくんが誰かから借りたりとかしてしのいで(笑)ギアや、燃える前の20000とか、下北の屋根裏とか、いろいろ手当たり次第でしたね。

タクロウ またいろんなハコが誘ってくるんだ(笑)そういう時って。

シガ あとレッドクロス!高いねー。ベースメントも高かった。

タクロウ しかも一回も褒めてはくれなかったという(笑)。ずーっとしぶい顔だったという(笑)。「何かが足りない」ってずっと言われて。

――出だしから既にがけっぷちみたいな状態だったんですね。

シガ うちら、ありのままを包み隠さずさらけ出すってスタンスでいたら、ケツの毛までむしられちゃった感じ。バンドはミステリアスな部分があった方がいいんだと思って(笑)そのうちドツボにはまっちゃってみんな風呂なしアパートになっちゃって。で、2008年の年末に事件が起こった(笑)その頃よく出てた新宿のフリーク、ピットインの向かいの。大晦日のイベントに出たら楽屋荒しにあったんです。当時ライブハウスに「楽屋荒し出没注意!!」の紙がよく貼ってあったんだけど、まさか自分たちが荒らされるとは(笑)大晦日のライブが終わって楽屋でヒデくんが「サイフがない!!ない!!」って。

タクロウ 正月に鳥取の実家に帰るバスチケット、ケータイ、財布・・ようはカバン一式(笑)

ヒデ 家の鍵も全部(笑)みんな大笑いで。ライブ後にメンバーでトボトボ新宿駅まで歩く道すがら、ポケットの中にハープが入ってたんですよ。ライブ中に使ってポケットに入れておいたから。そんで歩きながらそれを吹いて(笑)

タクロウ キーがメジャーのCのハープなのに「なんでこんな悲しい音がするんだ!!」と思って(笑)まさにこれが本当にブルースやなって(笑)

ヒデ なんとか三鷹のボロ屋に帰って、昔のアパートって無理矢理ドアを外せるんですよ(笑)。その後、当然正月は鳥取には帰れなくて。体調も崩してインフルエンザになって寝込んで、薬買いに行こうと思って外出たらチャリがパクられてた(笑)。

――(一同爆笑)。ふんだりけったりだ。とどめをさされた感じ?

ヒデ ピーズじゃないけど、まさにとどめをハデにもらった感じでしたね(笑)。

タクロウ 当時のヒデはずっと目の周りが黒くて、くぼんどったな(笑)

ヒデ そんなどん底を歌ったのが「2009」です。逆にそういう悪いことが起こるとうれしかったりするっていうか、ネタにはなるっていうか(笑)。実際はダメージ多きすぎて立ち直れないんすけどね。。ユーモアでどうこうっていう問題じゃないところまでもってかれるから。2009の「寝っ転がって眠るだけ」っていうフレーズは当時の唯一の楽しみ、今もそうだけど。あれは俺の中ではちょっと前向きなんですよ(笑)。

シガ だからファーストの曲たちは10代の頃の「絶対何かが来るはずだ!!」っていう根拠のない希望の歌ばっかりだったんだけど、それ以降はどんどん歌に希望がなくなっていった(笑)

ヒデ 本当はもっとキラキラする曲を書きたいんすけどね。

インタビューの続きはこちらサカナスタイル「THWATTERインタビュー」

お題「あまいゆめ」 清水ヒデアキ(ボーカル)

利根川さんがいきなりむず痒いお題を出してきて、正直、うわーっいやだーって思ってる。
簡単に言うと恋バナを書けということらしい。いきなり恥ずかしーし、なんなんだよアイツ。おじさんのくせに。aiko聴いて教えてもらえよ。と思いつつ考えてみる。

そもそもTHEWATTERの『あまいゆめ』って曲からお題が来ているらしい。『あまいゆめ』は1年ちょっと前に僕が作った曲で『あまいゆめ』の歌詞の内容は恋の要素も少し入っているけど、冒頭だけであとはひとりのストーリー。
「夕闇切り裂いて 自転車に乗って 私の好きなところに連れて行って ふざけたふたりの行きつく先は 何にもできずに戻るだけ」
ってところだけふたり。これは捉え方にもよるだろうけど、恋じゃないと思う。恋が終わってしまったあとの話。盛り返したいんだけど、なかなかうまくいかない話。僕が曲で女の子を使うときはいろんなモデルがあって、それをごちゃまぜにした架空の女の子を想像して作るので誰ってこともないんだけど、こういう場面はよくある。でもずっとヤバい瞬間を探している。

あまいゆめ

あまいゆめの中を生きているので
ここにきて何もできない

夕闇切り裂いて 自転車に乗って
私の好きなところに 連れて行って
ふざけたふたりの 行きつく先は
何にもできずに戻るだけ

ずーっとこのまま重たいムードか
ずーっとこのまま重たいムードか
ずーっとこのまま重たいムードか
へとへとになって踊りましょう

あまいゆめの中を生きているので
ここにきて何もできない

ただずーっと眺めている
ただぼーっと眺めている
何も関係なくて空はきれい

あまいゆめの中を生きているので
ここにきて何もできない

付き合ったばっかりの女の子と遊んだときに待ち合わせして待っていて女の子がやってきて、「ごめん遅くなってー」とか言って汗かいてちょっと笑う。それだけでもうかわいい。「お姉ちゃんの服着てきたー」とか言ってちょっと大きめのパーカー着てくるやつとか。さっきまで喋っていたのに突然、寝てたり。電話の声が可愛かったり。あと匂い。距離が縮まらないとわからない、あの匂い。

そういうキラキラだけでもう十分っす。みたいな。そういうのをいっぱい見たい。もっとアダルトな恋愛もあるんだろうけど、今のところ僕はそういうムードにあんまり縁がないみたいで、ときめきポイントがそこまで変わってないような気がします。

中島らもは「恋愛は日常に対して垂直に立っている
その一瞬が永遠をはらんでいる。」
と言っている。別の宇宙、そんな感じ。
日常になるとやっぱりどろどろしてきてめんどくさいことになってくるのでね。また別の宇宙に押し上げるのはお互いかなりの変化が必要になってくるんじゃないかしら。がんばりましょう。

別れってのもまたキラキラが起きたりする。もうこの人と会うことないのかーとか思いながら喋っていると視界がぼやけてやけにキラキラして見えてくる。僕は長時間の別れ話のときにさすがに疲れて、家でラーメンを食べていたら、ラーメンが部屋に入ってくる日光に照らされて突然、輝き始めて、「ラーメンが、とてもきれいだ」と言ってしまったこともある。口調まで変わって、何を言っているか誰にもわからないだろうけど、とにかくきれいだったんです。
そして、別れた直後はそこまで引きずったりしないけど、たまに思い出して切なくなる。情けないけど仕方ない。そういう気分になったときは少しお酒を飲んですぐ寝ます。

うみ

何をしてる君は僕はテレビを消したところ
何をしていてもグッとこないまま夜は明けそう
何をしてる君は僕はビールを開けたところ
何をしてるときが僕にとってのいいことなんだろう

僕は君と 驚いて楽しむ
生まれた時から 自由が利かない
変なところで 死んで行くことも
知りながら 忘れながら

あなたと待ち合わせて
朝まで一緒にいたい
僕が優しいところ
君と一緒にみたい
風が吹いたら虚しくなって
僕は 君の名前 呼ぶことでしょう

僕は今
目覚めたところ

あなたと待ち合わせて
朝まで一緒にいたい
僕が優しいところ
君と一緒にみたい
風が吹いたら虚しくなって
僕は 君の名前 呼ぶことでしょう

ちなみに別れで印象的だったのは「めんたいこ事件」ってのがあるんだけど、これは両者の見解が見事に違うのでここで書くのはよしときます。めんたいこを食べていて、そこから別れまで発展してしまった話。何故か食べ物ばっかり。これは何か別の機会で。

他のメンバーはどんなこと書いたんだろう?THEWATTERの曲は恋の曲もいっぱいあるので聴いてみてください。ほとんどそればっかりかも。今回はこんな感じで。

お題「あまいゆめ」 石指たくろう(ベース)

幼馴染のCちゃんの話。
僕とCちゃんは同級生で、同じ町内の同じ地区内。おまけに家もすごく近く、保育園、小中高と一緒だった。
小西真奈美似の美人な女の子。

田舎の小さな町内の中でも、小さな地区。
小学校の頃は1年生から6年生まで、なんならその上の中学生、
さらにお兄さんお姉さんの高校生と遊ぶこともあった。
Cちゃんのお兄ちゃんの4つ上のKちゃん。Kちゃんともよく遊んだ。
夏休みにKちゃんの家でカルピスを飲んでいるときにCちゃんもやってきて一緒に話していたとき
「Cちゃんのカルピスをこっそり飲め!」
と指令を出された僕は、上級生方々を楽しませるため躊躇することなく飲んだ。
飲んだら飲んだで「うわー!間接キスだー!!」なんてはやしたてられたこともあった。

僕が上級生になったときは下級生と遊ぶ習慣はなくなりつつあったが、僕が下級生のときは上級生たちとよく遊んでもらった。
僕には2つ上にお兄ちゃんがいたので、尚更に遊んでもらった。
この頃は楽しかった。
靴に爆竹をつけられてバチバチやられて川に落ちたときも、ロッケット花火の狙い撃ちの的にされたときも、
怖い話の場になって家に帰ろうにも怖くて帰れなかったときも、雪で基地を作ってチームで雪合戦をしているときに
ルール違反のドロップキックで基地を壊されたときも、ドラクエのガチャでレアなやつが当たっても「これはいらないから」
と言って上級生にあげたことも、ゲームのコントローラーを触らせてもらえるのはレベルあげのときだけだったことも。
上級生の機嫌に左右される毎日だったが、楽しかったし遊んでほしかったし必死に気に入られようとしたのを覚えている。

少し話がそれたがCちゃんの話。
Cちゃんは保育園のころからバレンタインにはいつも僕だけにチョコをくれた。
1度バレンタインの日に保育園が休みだったときは、お母さんとうちに来てくれて渡してくれたこともあった。
僕も3月14日にはなにかしらお返しをあげていた。と思う
その習慣は小学を卒業するくらいまで続いた。
5〜6年の頃は、恥ずかしさもあり意識し合ってしまって、日常的に話すことも無くなり、上級生たちと遊ぶことも少なくなった。

中学生になったとき、Cちゃんは人気だったと思う。モテていたと思う。
僕は違う女の子といわゆる一緒に下校する仲になり、中学校の頃はあまり話した覚えがない。

中学校は2つの小学校が一緒になるだけだったが、高校に上がるときはもう少したくさんの中学校からいろんな奴がきた。
Cちゃんとは特にわだかまりも無くなっていたように思うが、クラスが一緒になることは無く、廊下であったら少し談笑するくらい。
僕の友達にCちゃんとの幼馴染の関係を羨ましがるやつもいた。
Cちゃんは唯我独尊、シュッとした見た目で少しクールな面もあったので、人当たりが悪いわけではないが1人でいるところを
よく見かけた。
お互いに恋の噂の1つや2つあったと思うが、高校在学中もあまり話すことは無かった。

高校を卒業するころ、Cちゃんは大阪の製菓の専門学校へ行くことを知った。僕も大阪の専門への進学の予定だった。
話を聞いてみると、引っ越し先の住所が実家さながらとても近く、ドキッとした。
「これはあれかそういう運命的なことか」とガラにもないことを思ったりもした。

お察しの通り、引っ越しをして暮らしが落ち着くと、たまにうちに遊びに来るようになった。
ご期待に添えず申し訳ないが先に言っておくと、Cちゃんと僕は男女の関係になることは無かった。
製菓の学校で作りすぎたケーキのホールだけを持ってきてくれたり、暇なときにお茶飲んだり、その程度。

かくいう僕の気持ちはどうだったかというと「付き合ってもいいのにな」なんて思っていた。
ただCちゃんには地元にいる、付き合っているらしい年上の人がいたようだった。

ある夜、いつもより少し遅い時間に連絡があり、Cちゃんがうちに来た。
その年上男性にはどうやらもてあそばれていたんだということだった。
取り乱すほどに取り乱すわけでもなく、泣きわめくわけでもなく、うつむいて暗い顔のCちゃんに
僕がかけられる言葉があるわけもなく、「そうかあ」という言葉を最後に部屋には静かにテレビの音が流れていた。
Cちゃんは明け方に帰っていった。

その後、僕は東京で暮らしを始め、Cちゃんはそのまま大阪で就職した。

少し前だったような気もするし、だいぶ前のような気もするが、1番最近Cちゃんにあったあときに、
Cちゃんが今お付き合いしている男性とはわりかし長く付き合いが続いているという話を聞いた。
テレビ局のテレビマンだそうだ。
ただ向こうの家に1度も行ったことは無く、忙しいこと以外は私生活があまり見えてこないということ。
連絡が返ってこないこともあるとのこと。それでも付き合いは長く続いているということ。
「それはどうなの?実は奥さんと子供がおるなんてこともあるかもよ。」僕がそう言うと、そのこともCちゃんは感じているそうだ。
それでも年上で尊敬できるところがたくさんあるんだそうだ。

ここまで書いておいてなんだが、僕は男女の友情否定している。
Cちゃんと僕の関係性を改めて考えたときに、友達のような気はするが、
恋人ではないし(過去チョコを渡しっていた時期はあったにせよ)、友達以上恋人未満なんて気持ち悪くてゲロが出そう。
Cちゃんと僕はただの幼馴染み。
Cちゃんはそれからどうなっただろうか。
これを書くにあたってそんなことを思い出した、そんな僕のあまい夢。

お題「あまいゆめ」 シガケイイチ(ギター)

高校に入ったばかりの頃、ヤンキーに呼び出されて、公園でボコボコに殴られてしまった。
病院の帰り、同級生の女の子にバッタリ会ったら、切れた唇に優しくキスしてくれた。
あれはよかったな。

お題「あまいゆめ」 山口ヒトシ(ドラム)

申し訳無いけど無いですね…。
辛い事ばかりで…。

お題「バンド」 清水ヒデアキ(ボーカル)

僕がバンドを始めたのは21歳の時で「THEWATTER」がそのバンドです。自分でも27歳にもなって、ここまでこんなことを続けているとは思ってなかった。でも良くも悪くも今日まで6年続いている。

それまで、これといって音楽に興味もなかったし、バンドというものに触れることもなくライブハウスに行ったこともほとんどないようなやつだった。

20歳のときに大学をやめて東京に来て、新宿の居酒屋で働きながら休みの日は幼なじみの拓朗(Ba.)と遊んでいた。
お金もないし、特にやることもないないので拓朗の部屋でCDを聴いたり、音楽のDVDを見たり、ギターを弾いたりして遊んでいたりして、ふざけて曲を作っては歌って朝方に帰るという生活を送っていた。
「新たに1個暇つぶしができてよかったな」と思って楽しかった。その時に拓朗がWEEZERを教えてくれたり、銀杏BOYZを教えてくれたりして徐々にバンドに興味を持ち始めていった。

ある日、銀杏BOYZの『人間』を聴いた時に「あれ、これって俺もこういう気持ちどっかにあるなぁ。無関係じゃないな、こんなことも歌ってもいいのか」と始めて歌詞に耳を傾けてそこから全て聞き直したりなんかして感動していたのを覚えている。
で、その時ちょうど拓朗が弾き語りのライブにお笑いのネタを作ってステージに上がったり(当時、お笑いの方が興味があった)、部屋で作った曲を一緒に歌ったりしていた。拓朗とのそういう時間がなければ、僕は音楽を間違いなくやってなかったと思う。いろいろ教えてくれてありがとう。感謝。
その頃、拓朗のバイト先の吉祥寺ハモニカ横丁の飲み屋に遊びにも行っていて、お客さんがいないときはギターを弾いたりしていた。

これからどうするかとかも何も考えずにそういう日々を過ごしていた。
そしてある日、その日は次の日にライブを予定していたので、お客さんもいないし、ふたりで練習していたら、志賀くん(Gt.)がふらっと入ってきて端っこの席に座った。

酔っ払ってるみたいでニコニコしながらギターを持ってる僕らに「え?音楽やってるの〜歌ってよ〜」って話しかけてきて「そうなんですよ。明日ライブなんですよー」とかいいながら何か自作の曲(たぶんミラクルガール)を歌ったら「いいね〜僕も明日一緒にやらしてよ〜」と言う。
変な人だなぁと思いつつも面白そうだし「じゃ明日の夕方、池袋に来てくださいね」と言って連絡先だけ交換したら志賀くんは帰って行った。
拓朗はもともと志賀くんと少し知り合いだったらしく、あの人ギター弾けるんだよとかそれくらいの情報はあった気がする。
何はともあれ、僕の志賀くんへの第一印象は怪しさ満点だった。
その怪しさが何かの始まりみたいでわくわくした。
その日の出来事を寝る前に思い返してみて「誰なんだよ。」とやっぱり思った。

次の日、僕と拓朗は池袋のライブハウスでリハを済ませ、「やっぱあの人来んかったなぁ」と喋っている矢先に電話がかかってきて場所を教えるとギターを持った志賀くんが登場した。
「うわーマジで来た 」と掛け寄って、すぐに道端で練習してライブをした。
その日のライブは自分のことでいっぱいいっぱいなのと、ギターの音を聴く耳もなくて志賀くんが入ってどうだったとか覚えていない。そんなことも考えてもなかったような気がする。
でも何か楽しくて3人でライブをするようになった。そして何回かライブを重ねた。

ぐっさんはその池袋のライブハウスで働いていた。
僕のぐっさんへの第一印象は「始めて会った気がしない。地元の先輩にもこんな奴おったな。」みたいな感じだった。
ちなみにぐっさんは当時、拓朗のことが大好きで何故か、僕のことは大嫌いだったらしい。
そして、後々、ぐっさんがドラムを叩けることが発覚し、ぐっさん誕生日の前夜祭に4人で始めて演奏して、その日ライブが終わったあと、「バンドやりますか」って志賀くんが言ってそんな雰囲気になってTHEWATTERが結成された。

その時、景色がボワ〜っと歪んで、うわっ何か始まるってわくわくした。
当時、何が何だかわかっていなくてノリだけでバンドを組めたけど、今改めて出会った瞬間を思い返してみたら、最高だなと思う。

その後、一年たった後、自分のモニターから他の楽器の音を返せることに気付いてリハでそのことを言ったら、みんなそんなことも知らんかったんかと驚いた顔をしていた。
知らないことを始めるのは楽しい。かと思ったらクソみたいなライブをして、なんとも言えん空気になったり。

そんなことが繰り返されて、今もまったく変わらずにそれをしているって感じです。
僕にとって「バンド」は恋愛みたいで、ものすごい照れくさいものです。

たまに邪魔臭くなるなることもあるけど、このバンドが大好きです。

お題「バンド」 石指たくろう(ベース)

ベースを始めたのはたしか中2の前半だったと思う。同時期に押し入れにあったアコースティックギターを手に取ってギターも始めるのだが、ベースの方が上達が早かったと思う。弦は4つだし、抑える弦がひとつでいいし。

なぜベースを始めたのか考えてみた。
あのころはテレビや、漫画「BOY」や、雑誌や、CDのジャケなどでベースを見るだけで「ベースってかっこいいな!」と思っていた。
悪者っぽいし、クールだし、ちょっと賢そうだし。
バンドの中の役割を考えたときに、ドラムには全く興味がなく、ボーカルもなにもできないやつみたいで嫌で、僕は現在でもギターを日常的に弾いているが「バンドの中でのギター」にも当時は興味が無かった。
やっぱりベースだった。

やってみたい!欲しい!という気持ちが高まったある日、親に頼んで買ってもらった。
全然覚えてないけど、たぶん頼んであっさりOKだったんだと思う。
「バンドやろうぜ!」とか「GO!GO!GUITAR」かなんかの通販のページで、
激安初心者入門用の一式のセットを注文した。
絵の具の「オレンジ」をそのままぶちまけた色のプレシジョンベース、
そして初心者セット一式のミニアンプ、シールド、替え弦、そして教則ビデオが届いた。

教則ビデオを見て真面目に入門した。
教則ビデオを何日で何周かしたあとにすぐブルーハーツを練習した。
初めて弾けたのは「リンダリンダ」だった。
それからたくさんブルーハーツの曲を練習した。
たぶん今でも1st「THE BLUE HERTS」〜3rd「TRAIN TRAIN」のメルダック3部作はほとんどの曲が弾けると思う。
そのあとの「BUST WASTE HIP」〜「DUG OUT」も結構練習した。
「PAN」は全然弾けない。
(ブルーハーツの話は止まらなくなるのでまたの機会にする)

そして「↑THE HIGH LOWS↓」コピー期に突入する・・・(オイッ!!)

なんとなくまがりなりにもベースが弾けるようになり、中学2年生の文化祭で「リンダリンダ」となにかもう1曲やったと思う(恥)
ド下手なドラムのゆうたろうに、唯一のブルーハーツを語り合えるナカジがギター、僕がベースボーカル(笑)
しかも学校のマイクが貧弱すぎて、バンド演奏を始めると、音が飛んでなにも聞こえなくなるという・・・。
さんざんなステージ初体験である(泣)

そのつぎの年、安物のオレンジぶちまけベースはいきなり音が出なくなり、親とおじいちゃんに懇願して、文化祭でまたやりたい!と熱意を伝えて、エピフォンのサンダーバードを買ってもらった!

中3のときの文化祭はハイロウズのバームクーヘンから「バームクーヘン」と「モンシロチョウ」をやったと思う。
ド下手なドラムのゆうたろうに、唯一ブルーハーツを語り合えるナカジがギター、僕がベース、そしてボーカルは会話にちょいちょい入ってくるなと思っていたらいつのまにか密かにハイロウズのアルバムを全部揃えていたけーちゃんだ!!
マイクは安定の貧弱ぶりでさんざんすぎるステージだったのはいわずもがなだったが、ドラムのゆーたろーの家の離れで練習したのは楽しかったな。
家の離れでバンド練習しても怒られない環境ってすごいな。めちゃくちゃ羨ましいな。

その頃、THEWATTERボーカルのシミズヒデアキは陰で「うたいびとはね」のギターを練習していたらしい。

鳥みたいな顔で腕にタトゥーが入っているぐっさんがドラム、本の虫で最近コンタクトしがちの志賀くんがギター、僕がベースで、小中高から一緒なのにグッと仲いいわけでも悪いわけでもない一定の距離間を保ち続けているヒデがボーカル。

THEWATTERは今年の5月23日で6周年を迎えます。

お題「バンド」 シガケイイチ(ギター)

初めてバンドを組もう!と思ったのは中学3年生のころ。
卒業式で演奏したくて、ギターを手に入れて友人の池田とスタジオに入った。
「ザ・モッズ」のタブ譜の中から一番簡単そうな曲を選んでやってみた。
「ごきげんレディオ」だったかな?
5弦と6弦しか使わなくていいリフのやつ。

でも全然弾けない。
うーむ、これは困ったなと思っていると「卒業式でのバンド演奏は禁止!」ということで、悔しがるふりをしながら、おおいにホッとした。

担任は全共闘あがりの熱血教師で、
「オレの力が足りないばかりに……」と眼に涙を浮かべていたが、、、

高校生になると、コードくらいは弾けるようになったので、パンクや60年代のブリティッシュのコピーバンドをやるようになった。

学校は進学校&男子校で、まるで灰色だったし、学校の外で音楽と触れている間だけ生きている気がしていた。

白いシャツに細いネクタイをして「ジャム」や「ザ・フー」をやったり(このバンドでは如何にかっこよくジャンプできるかが最重要課題だった。)、
土曜日の午後に幼稚園のお遊戯室でビートルズをやったり(All My Lovingの三連譜は結局最後まで弾けなかった、ビートルズは難しすぎる。)、
セックスピストルズのコピーバンドでベースを弾いたり(ピストルズはそんなに好きではなかった。)、
顔を白く塗って、アディクツのコピーバンドでボーカルをやったり、
(最前列に座っていたヤンキーにビールをかけたら、ライブ中なのに胸ぐらを掴まれて謝ったのを覚えている。)

そうこうしているうちに、
隣の中学の山田から誘われ、
同級生の「タカギ」と、凄腕ハードコア・ドラマー「ケチロー」も加わり、ザ・ベルベッツというバンドを組んだ。
ダムドやイギー・ポップの曲を、とにかく速く演奏し、ギターを弾きながら床を転がりまわるというのが売りだった。
福岡の「グリーン・ビレッジ」や「JAJA」というライブハウスでライブを重ねた。
これが僕の初めてのレギュラーって感じのバンド。

高校卒業間近になって、ボーカルの山田は「ザ・シャム」という人気バンドに誘われて、ベルベッツは自然消滅してしまった。
ザ・シャムは後にメジャーデビューしたけどうまくいかなかった。

6年間住んでいた福岡にも飽きて鬱々としていた僕は予備校に通うという名目で広島に逃げた。
そのときはギターも持たず、バンドをやる気もなく何の目標もなく過ごしていた。
もっぱら、予備校のエレベーターで知り合った「ゴトー」のバンドについて回って遊んでいた。
「ゴトー」は「DOVE」というバンドでデビューしたけれどうまくいかなかった。
同期にX-JAPANがいて、隣のスタジオで寝泊まりしていると言っていた。

僕はそれから東京の大学にもぐりこんだけれど、周りはテニスラケットを持った爽やかな学生ばかりで、どうにも馴染めなかった。
同じようなヤツらが集まったソングライツという音楽サークルに入部した。
一緒に入部したのがチバくんで、僕が博多から来たのを知ると、
「うっそ! すげえじゃん! オレ、ルースターズ好き。」なんて感じで一緒にバンドを始めることにした。
それがミッシェルガンエレファント。
最初のリズム隊はフュージョン好きなやつらだった。
しばらくは大学の中だけで演奏していたけれど、先輩のフィッシュマンズがライブハウスでめきめき人気者になっていくのを見て「オレたちにもできるんじゃね?」と思い、
下北沢の屋根裏にデモテープを持って行った。
しかし何故か高円寺2万ボルトにブッキングされて「おっかしいなー?」と思いながらもたくさんライブをやっていた。

何度かリズム隊も変わった。
天然パーマの「イトウ」、
頑固で扱いにくいヤマハドラムスクール出身の「タサキ」、
ホストクラブの面接でおかまを掘られた「ジャッジ」、
堀江淳似の「シゲノくん」
そして、隣のサークルにいたキュウと上野くんが入ってきた。
二人が上手かったので、演奏が安定してバンドは人気が出てきた。

しかし、僕はその頃、いろいろと問題山積みでどん底だった。
バンドは何となく続けていたけれど頭の中は常に錯乱状態、不安で練習も手につかない。
この頃のことは思い出すとドキドキするので、まだうまく書けない。

何とかここから抜け出さなくてはと思い、ライブハウスで知り合った女の子と結婚することにした。
厳しく僕を律してくれそうだったのだ。
そしてチバくんにやめる事を告げ、生活を立て直すことにした。
学校も辞め(6年間も在籍していた。)、引越しをして、アルバイトで暮らし始めた。
バンドは続けるつもりだった。
しかしメンバー募集をしてもなかなかいい出会いはなく、そうこうしているうちにミッシェルガンはめきめき人気者になっていく。
焦れば焦るほど空回りしていく。
今にして思えば、実力が足りなすぎた。
結婚していた奥さんをボーカルにしてバンドを始めたけれど、メンバーは流動的でうまく行かず、10年ほどダラダラと続けた挙句、さすがに限界だと思い、辞めて独りになった。

「もうバンドはこりごりだ、フォークシンガーになろう」と考えて、アコースティックギターと歌の研究を始めた。

そんな時にザ・ウォーターのやつらと知り合って、またしてもバンドが始まってしまった。
最初のうちは、これまでの自分を壊さなきゃと思い、裸に黄色いオーバーオールで演奏していた。

そして今もザ・ウォーター真っ最中。渦中にいる間は何がなんだかちっとも分からない。
楽しみよりも、めんどくさくて苦しいことばかりが多い気もする。
考えると、もう30年もこんなことをやっているのだ。
なんだろう?

でも本当は何故なのか分かってるような気もする。
バンド活動が停滞していた30代の頃、暇を潰すために色々な事に手を出した。
でも、いつも誰かに用意されたもので遊んでいる気がして、バンドをやってるときほどの実感はなかった。
あの感じ、他の手段ではなかなか得ることができないのだ。

ラップや打ち込みの音楽が流行り出した頃には「バンドなんてやるヤツはもう少なくなるだろう」と思っていたけれど、いまだに皆やりたがる。

狭いスタジオで顔を突き合わせて、
楽しい時もあるけれど、恥ずかしい思いやみじめな思いもする。
表立って言うと嫌なんだけれど、
皆も内心ではそんな濃密なコミュニケーションを求めているんだろうなと思う。
でも僕はもうバンドには飽きてもいる。

お題「バンド」 山口ヒトシ(ドラム)

俺はバンドが嫌いだ。

音楽は本来、自由で有るべきだ!

でも自由じゃない音楽を演奏していたり、自由じゃない活動をしているバンドが多いと思う。

でも俺は、音楽評論家では無いから難しい事は良く解らん。

自由って、何か規則が有るからこそ生まれる物であるとも思っている。

THEWATTERは、ほとんど規則が無い。

それによって、1人1人がしっかりせんと良い音楽やグルーヴが出来ないし、バンドも駄目になってしまうと思う。

音楽は正直だ。

だから俺は音楽が好きだ。


「音楽と俺」

山口 ヒトシ

お題「おススメの一枚」 清水ヒデアキ(ボーカル)

銀杏BOYZ「光のなかに立っていてね」
銀杏BOYZ「光のなかに立っていてね」

今年1月にリリースされた銀杏の新譜。前作から、なんと9年振りのリリースらしい。
ずっと銀杏BOYZは好きだったけど、あくまで今回はこのアルバムについて思ったことを書こうと思う。
ちなみに僕はこのアルバムが前作より好きだ。部屋にいて何もする気が起きないし、がんばって音楽も聴く気になれないときにずっと垂れ流しで聴いてます。
音はノイズが中心になっていて、ノイズとかよく知らないんだけど、アルバム全体の雰囲気がパチンコ屋とかゲームセンターとかスーパーで流れているなんといったらいいか、虚しい気持ちにさせられる。街の悪そうな人って見なくなったけど、聴いているとそういう懐かしい人を思い出します。実際、僕が銀杏の前身バンドのゴイステを知ったのも田舎の祭りでヤンキーの先輩が口ずさんでいるの聴いて知りました。
だから、田舎道でも車の中でこのアルバムかけて聴いてみたい。
特に2曲目からの「金輪際」「愛してるってゆってよね」「I DON'T WANNA DIE FOREVER」の流れが好きで、何も考えずに流していれば自然にテンションが上がってくる。かっこいい。
「金輪際」「愛してるってゆってよね」は歌詞の内容もかなり混乱していてどっちつかずで、もうどっか姿消してしまいそうな感じがとてもいいです。
変な言い方だけどこのアルバムを聴いているときは銀杏BOYZに任せておこうみたいな。そんな感覚もあります。
9曲目「ぽあだむ」は年末年始、大阪に帰省してまったくやることないときに動画で聴いたけど、おかんと妹が住んでいるマンションの前のコンビニにたばこ買いに行くときに始めて聴いて、「あーなんか俺もがんばらんとなー」って思って横断歩道を渡りました。
なんだかんだでこのアルバムが出てからちょっとずつやる気になっている。なんか自分のどっかのパーツがハマったというか。でもよくまだつかめてない、けどもう何十回も聴いてるのでみなさんもぜひ。

お題「おススメの一枚」 石指たくろう(ベース)

ねろ「しごと」
ねろ「しごと」

数年前、ロックバンド「赤い疑惑」ばかり聴いている時期がしばらくあった。
友人に教えてもらって一発でハマった。
初めてライブを観たのは東高円寺のUFOCLUBだったのを覚えている。

その「赤い疑惑」を率いるアクセル長尾こと長尾玄武さんが高校生の頃からやっているという
伝説の宅録フォークプロジェクト「ねろ」の作品。
現代フォークの大名盤「しごと」。

初めて赤い疑惑のボーカルの人が弾き語りをやっていると知ったとき、意外だった。
ロック、ヒップホップ、ハウス、レゲエ、クラブミュージック、ワールドミュージック・・・。
ビートが無いとつまらねえ!踊らせてナンボ!
そんな印象を勝手に抱いていた。

初めて弾き語り「ねろ」を観たのは新宿LOFTのBARスペースのステージだった。
やっぱり僕はハマった。良いモノ(人)はジャンル、スタイル関係なくやっぱり良いのだなと当たり前のことを思った。
まだ発売前だけどは今日は数枚持ってきているとのことで「しごと」をライブ後にすぐ買った。
(フォークが好きだというお話ができたのはこの日だった・・・!)

その後、何度か「ねろ」名義の弾き語りで自分の企画に出演して頂いた際に、告知のための紹介文を送ってもらったことがある。
そのときに長尾さんは「拙いギターと歌で、日常のことをボソボソ歌う、哀愁溢れる三十路の脱力フォーク!」と送ってくれた。

あの頃の俺たちはああだったがこれからみんなはどうするんだろうという歌、ともだちが結婚する歌、
目前にあったはずのところにたどり着けずどこにいけばいいのかすらわからない自分へあてた歌、
秋の太陽に照らされふと心に火がつくのを感じた歌、日本で暮らす不遇を嘆いた某有名曲のオマージュ、
お金がないのも幸せじゃないのも当たり前なんだから幸せは君の疫病神だと唄った歌・・・・。
日常のことを、声を大にすることなくさらりと歌い、
字面だけ見るとテンションが高そうな「wow wow」や「oh yeah」でさえに哀愁が漂う、
まさに「脱力フォーク」とはこのアルバムに、そして長尾さんのスタイルに相応しいキャッチフレーズかもしれない。

ただそこいらの「脱力系」とは一緒にしてくれるなと思う。

「日常のなんでもない風景を」なんていうCDのレビューをよく見かけるが、それを見て聴こうと思った試しはない。一度もない。

日常のなんでもない風景。
そのさいたるもの「しごと」というタイトルを携えたこのアルバムは、
どこの世界へも連れて行ってはくれず、辛辣に現実を見つめさせてくれる。
現実を見つめさせてくれるが、暗い気持ちにはならない。
泣けるのだが、暗い気持ちにはならない。

このアルバムに並べられたウィットに富んだ歌詞たちが、
日常のなんでもない風景を彩っていくのは、結局のところ自分のユーモアなんだなと思わせてくれるので。

お題「おススメの一枚」 シガケイイチ(ギター)

RCサクセション「ラプソディー」
RCサクセション「ラプソディー」

中1のときに一番最初に好きになったバンド。しかもリアルタイムで聞けて超幸せな中学生だった。
それまでは沢田研二やキャンディーズを聞いてたのに、RCを知って人生が変わってしまった。
このアルバムは久保講堂でのライブ盤。1曲目「よォーこそ」から「キモチE」まで9曲、身体に染み込むまで毎日何度も聞きまくった。当時はCDじゃなくてレコードだった。いわゆるLP。今1曲選ぶならB面1曲目の「エンジェル」。
中学校の行き帰りは毎日ひとり脳内ライブで、キヨシローになったりチャボになったり小川銀次になったりと忙しかった。
まだウォークマンを持っている人も少なかった。
2005年にNAKEDという完全版が出たが「すごい人気だな。オレ、自信持っちゃいそう!」とMCしていて、そんな感じだったんだなーと思った。中学生の僕にとってはもう大スターだったから。
キヨシローの歌はやっぱり特殊で特別

お題「おススメの一枚」 山口ヒトシ(ドラム)

The Velvet Teen
The Velvet Teen
【Cum Laude】(2006年)

ずっと好きなバンドなんだけど、このアルバムを聴いた時は腹が立つ程にやられた!と思った。

The Velvet Teen の2010年10月の来日公演には2Daysでライブに行く事が出来て、初日は公式なライブでは無かったのか新宿 Club Wireで、何バンドか出た最後に The Velvet Teen が出て来たのを覚えてる。

本人達が出て来るまで、「本当にライブあるの?」って友人と何度も話してたなぁ…。

ライブが始まるぐらいになると会場はざわめき出して、勿論・最前列に行く俺たち。
友人の2人には事前にCDを聴かせてたりしたんだけど、ライブが始まってから「すげ〜良い!すんげ〜良い!!」って2人とも連呼してたなぁ。

俺はずっと、
「フォォ〜〜〜!!!」って言ってたよ。笑

異国の大好きなバンドを何年越しかで見れたんだもの、そりゃもうただのキッズだよ。

1stからの曲も演奏してくれて、あっという間の大満足と感動でライブは終了。

「音楽に国境は無い」なんて聞いた事はあったけど、本当にそう思った。

ステージを見ただけで納得出来るバンドの一体感とパワー。
そして、何よりThe Velvet Teenのメンバーが音楽を楽しんでたこと。

ライブの興奮冷めやらず、物販コーナーに行ったら、普通にThe Velvet Teenのメンバーがお客さんと談笑してて、俺もありったけのイングリッシュで話したよ。

メンバーはとても気さくで、「明日のO-NESTも見に行くぜ!!」って言ったら喜んでくれて、「明日は長い時間で、たくさんの曲をやるぜ!!」って返してくれたなー。

年齢も近いと言う事もあってか親近感が湧き、一緒に酒を呑んで好きな音楽の話しをして楽しい時間を過ごさせていただきました。


The Velvet Teen


どうやら“世界の山ちゃん”がお気に召したみたいで、「山チャン、ヤバイ〜!」言ってた。


2日目は、
「スーパーヴォーカリスト・シミズ・ヒデアキ’10」
と一緒に渋谷 O-NEST に行ったんだけど、広目のライブハウスで見る彼らも素晴らしかった。
もう、圧巻。

1日目とは違い、長い時間でのセットリストでデジタルサウンドも使ってたなー。

表現力が半端無かった!!
ここで紹介した【Cum Laude】からの曲も演奏してた。

しかし、シミズ君は風邪を引いていたみたいでグロッキーだったね(笑)。

そんな感じで【The Velvet Teen】
先ずは当然に曲が良いんだけど、ジャケも良いし・メンバーの人柄まで良いんだから文句の付けようが無い。ライブも最高!!

やっぱり人間が演奏しているんだから、そのバンドの人間性が出ちゃうアルバムが俺は好きだな。