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平井正也インタビュー「この魂をみつけてくれてありがとう」
2017.1.29 writer:sakanastyle

「ドキドキすることばかりがあるわけじゃないけど、たった1回のドキドキで胸が雪崩をおこす」
2016年8月。マーガレットズロースの新作「まったく最高の日だった」がリリースされた。
そこには「バンド結成20周年」「6年ぶり」「8作目」・・・いくつかの冠がついているけど、アルバムを聴いてみると駆け出しのロックバンドのファーストアルバムのような初期衝動が全編を貫いている。
その勢いにたたみかける様に、今年の6月10には「不惑の40曲ライブ」と銘打たれた平井正也40歳となる節目の記念ライブが秋葉原クラブグッドマンにて開催される。
20代の頃からずっと平井正也自身の音楽生活の中心だったバンド『マーガレットズロース』。2016年に突如、狼煙(のろし)をあげて始まった『平井正也BAND』、まるで武者修行のように全国を行脚する『平井正也』、マーガレットズロースのギターリスト熱海裕司とのユニット『マガズロサクセション』、平井家の家族バンド『nelco』・・・。当日の出演陣のどの瞬間を切り取ってもそこには「平井正也」という全身音楽家の魂のすべてが存在している。
「何をやっていても曲をかいていないと、なんにもやっていないような気がする。曲をかいて歌うために、この世に生まれてきたんじゃないのかよ?なにサボってんだよ?っていう気持ちに常に追われている」
かつてそんな風に語っていた時期を経て、平井正也がいよいよ本気で自らの魂とまっすぐに向き合う覚悟を決めた潔さを感じる。
うたうように生きること。生きるようにうたうこと。今をおおいにうたい、そして生きることで魂を燃やして、自分を照らすということ。そしてその光が月明かりのようにまわりを照らすということ。
マーガレットズロース結成20周年アルバムとリリースツアーの話を中心に聞いた平井正也の「今までとこれから」。
2016/12/10 仙川「ペドロ」(文責・取材/利根川)

バンドの青春が過ぎても、やっぱりそういう時期が過ぎちゃうと、楽しくないと続かない
――今回のマーガレットズロースの新作「まったく最高の日だった」は前作の「darling」が出てから6年ぶりということですけど。バンドにとっては普通の6年じゃなかったと思います。2011年に平井さんが関東を離れて熊本に移住されてから、バンドメンバーとも離れ離れになって、極端にいえばバンドが解散してしまってもおかしくなかった状況だったと思いますし、平井さん自身が新しいバンドを結成していたかもしれない、まあ今は「平井正也BAND」がスタートしているとは思いますが。そんな中でマーガレットズロースというバンドが活動を続けながら今回アルバムを作ることができたのは、平井さんの中で「よし!つくろう!」というきっかけが何かあったんですか?
平井:ひとことじゃ言えないし、いろんなきっかけが合わさった感じですね。一番大きいのは僕が熊本から大分に引っ越したことですね。去年の7月に大分に引っ越して、それを機にカフェで働きながら音楽をやるという「二足のわらじ的生活」から、いよいよ音楽一本に自分の生活が変わって、マーガレットズロースの20周年も重なったし、いよいよバンドでアルバムを作らないとって思いました。ずっと所属レーベルであるMIDIには「アルバムをつくりたい」って話はしてたけど、中々会社の状況的に新譜を出せない状況も重なっていて。いよいよ整理がついたからアルバムを出せるっていうタイミングも重なった。あとはお客さんに引っ張られてっていう部分も大きいですよね。全国各地でマーガレットズロースを待っていてくれることに対して、僕が自分のわがままで関東を離れて、九州に行ってもバンドを続けていることに対してのひとつの形を残さないと申し訳がたたないとも思いました(笑)。でもそれだけの後押しがあっても、いざ形にするってなった時に、相当自分から馬力を出さないと動かない部分ってあったから、奮起して作ったっていうところもあるんですけど。
――平井さんの想いと、いろんなタイミングや状況が重なった感じですね
平井:そうですね。長く活動しているバンドと共演する時に話すことがあるんですけど、バンドの活動を人生に例えたら、バンドにも青春時代みたいなものがやっぱりあって、それって人生の中で一番ウエイトを占めているというか、バンドを最優先にして、仕事や私生活とのバランスをとって、いつでもバンドで動けるように状況を整えておいたり、毎週スタジオに入ったりとか、そういうことが出来ていた時は、それが特別な時間だと思ってやっていたわけじゃないけど、過ぎ去ってみるとそういう時間って本当に限られていて、それがずっと続けられることってほとんどないんだなって、周りの状況をみても、バンドの青春が過ぎても、やっぱりそういう時期が過ぎちゃうと楽しくないと続かないですよね。青春時代なら何かを犠牲にしてもバンドに対して夢をもっていられるから、メンバーにとっては空いた時間でバンドをやるわけだから楽しくないと続いていかないわけで。なるべくストレスがかからないようにバンドを今まで続けてきて、それでもこれだけのクオリティで作品が残せるっていうのを証明したかったのもあります。若いバンドにとっても希望になるんじゃないかな?っていうね。20年やってて6年ぶりで、いつも現地集合・現地解散でライブをやって新曲もスタジオに入って練るわけじゃなく、ライブで形にしていくにしてもライブ自体も年数本っていう状況で、それでもこれだけ続けてくると「これだけ出来るんだな」っていうのは自分でも驚きだった。後からくる若い子たちにこれを聴かせてあげたいなって、そしてバンドを始めたいなって気持ちになってもらえたらいいなっていうのがありますね。
――フライヤーのキャッチコピーで「そこのきみ!これを聴いてバンドを組みなさい」というメッセージそのものですね。
平井:(笑)まさにそのひとことですね。
――アルバムを聴いた第一印象は20年続けているバンドの円熟味や渋さとは逆のロックバンドを組んだばかりの興奮と衝動を感じました。
平井:やっぱり長くバンドを続けていって、何を目指すのか?何を体験しようとしているのかな?っていったら、僕らの場合は出来ないことと出来る事がはっきりしたというか。こういうことは俺達出来ないんだなっていうのが分かったから、そこにもう時間を費やすことはないっていうか、それもすぐに分かることじゃないし、必死に鍛練みたいなこともしてきたから、開き直れた部分もあると思うんですけど。僕らが楽しくバンドを続けて行くには出来る事でやるしかないというのが分かったし、体験したし開きおなった部分もあって、逆に何か新しいことに挑戦したりとか、今まで出来なかったことをやろうとしたら、現役感のある音にならなかったかもしれないけど、結局俺達これが好きだし、まわりで今どんな音楽が流行ってるのか?って全然わかんないんですけど(笑)。
「こんな日を待っていたんだ」に対するアンサー的なアルバムとして作ったっていうのが最初からありましたね
――アルバムの曲順も出来た順ですか?
平井:曲順はいい並びを考えてああなっただけで、制作年代は特に関係ないんですけど。20周年なんだけど、僕が九州に移住してからの5年間だったり、前回のリリースからの6年の中で、特に重要な意味をもってる曲を選びたいなっていうのはありましたね。そういう意味では「はるかぜ」は入れたいな、とか。「なにも考えられない」って曲もバンドのメンバーと離れて暮らしたからこそ出来た曲だし「さよなら東京」もしかりです。出来る曲出来る曲、そういう前提があって出来るんだと思うんですけど。
――そんな中でも「斜陽」が10年ぶりに再録されるという。あれは誰の案だったんですか?
平井:岡野(bass)です。僕はぜんぶ新曲で収めたかったんですよ。でも岡野の感覚で「推し曲がない」って言われて。やっぱりライブで何度も演奏していってお客さんの反応を確かめながら曲を選んだわけじゃなかったから。まだライブで演奏していない曲とか、はじめて収録する曲が多かったから。そうすると曲に対する手ごたえとか印象が、ひとりで歌ってきてる自分としては「これは絶対リード曲としていけるでしょ?」と思っている曲でもメンバーからはB面みたいな印象だったりしてたみたいで(笑)。そういい意味で岡野は「斜陽」を入れようと。熱海君(guiter)が入ってからの「斜陽」を形にしたいっていうのもあり。とりあえずスタジオで一回録ってみようか?って。最初はむちゃくちゃ気合いが入っちゃって、最初に収録した2003年の「こんな日を待っていたんだ」のテイクと比べて、新たにこれを収録しなきゃいけない意味合いみたいなのを感じなかったというか、これだったら別にわざわざ入れなくても良いのかな?って最初のテイクは思ったんですけど、試しにクリックを入れて録ってみようってなって、落ち着いてというか、楽曲の良さを素直に伝えられるなら、違う方法で録ってみないとやる意味がないかもねっていうことで。「こんな日を待っていたんだ」の時はボーカルも一発録音で狭いスタジオでギリギリの状況で録ったから。しかも一回収録を見送ろうとしたのを土壇場で入れようとなって、急遽レコーディングに行って録って、今日ダメならもうダメって状態でボーカルも一緒に録ったのが「こんな日を待っていたんだ」のテイクだったから。だからそんな「斜陽」との差別化というか。そんな意味でちょっと違う方向で録ってみて聴いてみて、意外とクリックが入っていることを意識しないで演奏できたんですよね。ドラムだけ聴いてまわりはドラムに合わせて演奏した訳なんですけど。メンバー一同「聴き易いね」ってなって、「これなら入れてもいいかな?」って録ってみて思って入れた感じですね。2003年から聴いてくれてるお客さんもいれば、今回の「斜陽」を初めて聴いて喜んでくれるお客さんの方が多かったみたいですね。長年のファンからみたら「あれがあるんだからもう『斜陽』は入れないで良かったのに」っていう人もいます。ただやっぱりバンドとしては、はじめて合わせて、明日スタジオで収録しますって曲が多い中で「斜陽」だけが妙に演奏がうまいっていうのが(笑)、レコーディングエンジニアの上野さんが「急に演奏がうまくなったね」ってことを言ってましたけど(笑)。
――「うその地球儀」がリード曲かな?とか最初は思いました。
平井:そうですね。だからリード曲をアルバムタイトルにしようってなっても、じゃあどれをリード曲にするか?は定まらなかったですね。意味合い的には「1996」だったり「さよなら東京」だったりとかいろいろあったんですけど。「こんな日を待っていたんだ」の時に「斜陽」の歌詞の中からアルバムタイトルを取った方法で、アルバム全体を象徴する歌詞を抜き取ってタイトルにできたらいいなってなって、いろいろ候補を出していった中で「まったく最高の日だった」っていう歌詞が「こんな日を待っていたんだ」に対するアンサー的なフレーズでもあるし「斜陽」が13年ぶりに再録されているっていうのもあるし、「あっ!これだ!」っていう風に腑に落ちて。だからアルバムのデザインも「こんな日を待っていたんだ」と同じ縦のデザインだし、「まったく最高の日だった」っていうフォントも当時と同じデザイナーさんに頼んで、同じ雰囲気で作ってもらったフォントなんですよ。
――ディテールに至るまで「こんな日を待っていたんだ」がベースになっているんですね。
平井:アンサー的なアルバムとして作ったっていうのが最初からありましたね。
すべきじゃないことをやっていたら多分不幸が起きるし、やるべきことをやっていたらうまいこといくんだなっていうことを身をもって体験したこの6年間でしたね
――去年、平井家が熊本から大分に引っ越されて、いよいよ音楽中心の生活に進んでいかれたきっかけをもう少しつっこんでお聞きしたいんですが、何か強烈な音楽との出会いがあったとか?
平井:今、考えると必然的なことかもしれないけど。まず、なんで熊本を離れたか?っていったら、家を追い出されたんですよ(笑)。それは自分で考えていたことじゃなかったけど。友達とお店をはじめて、住んでいた家もお店の敷地というか、店が管理している果樹園の中の一軒家に住んでいたんですね。そこに入る時に、店で働くことが住む条件っていう取り決めをした訳じゃなかったんですけど、大家さんは別にいて家賃はそっちに払っていたんですけど、お店の人の感覚としては店で働くことが前提というふうに思っていた、と。最初、夫婦でお店の立ち上げにかかわって、早々にうちの妻が最初のコンセプトと違うっていうことで辞めちゃったんですよ。僕はコーヒーを焙煎したりパスタをつくったりする仕事だったんですけど、充実感もあって楽しくやってたんですけど、1年ぐらいたったところで、もう店の立ち上げに関わるっていう自分の役割が終わったかなっていうのもあって、ライブを増やし始めたんですけど、そうするとお店の人たちからは話が違うって思ったみたいで、立ち上げ期間が最低5年ぐらいだったと思ってたみたいなんです。僕は1年も手伝えたら十分かなって思ってたんですけど。それで店のスタッフからバイトみたいな扱いになって、ライブに行きたいところに行こうとした時に、ちょうど「プルタタ」っていうバンドと九州をまわって、別府でライブをやって帰ってきたその日に「家を空けてくれ」って言われたんです。最初は何のことか全然分かんなくて、聞いてみたら、お店でがっつりやってくれるって言ったから住んでもらってたはずでしょ?みたいに言われて、それは直接言葉じゃなくて、察して欲しいみたいなことだったんですよ。それって田舎のほうの独特なコミュニケーションっていうか。言葉で直接言ってくれたら、もっと分かりやすくお互いに誤解なくことが進んだと思うんですけど、向こうとしてはどうして出て行かないのかな?って思ってたみたいで。それがものすごいショックだったんですよね。友達と始めたのに、そんなふうに言われるの?ってめちゃショックだったんですけど。あまりショックだったから、九州じゃないところに行こうかな?とも思ったんですけど、まあ別府ですごく楽しいライブをして帰ってきて、家を出ろってことは次は別府に行けってことかな?とも思ったんです(笑)。別府のライブを主催してくれた子も「是非、別府に来てくださいよ」って言ってくれて。温泉も好きだし、一生の内に一度ぐらいは別府時代もあってもいいよなぐらいの軽いのりで決まったんです。自分では考えてなかったけど、いきなり家を追い出され、別府に行き、これはもう音楽に集中するしかないじゃないですか?この流れ的に。ようするに片手間に何かをやっていて、成立しないってことが証明されて、もしお店の人たちとうまく関係を築けてバランスとってできてたら、逆に僕とっては不幸だったというか。逆にこうなって良かったなって思うんですよ。その時はすごいショックだったけど。ショック療法みたいなもんだけど、ようするに本当に自分のやるべきことをやってなかったら、周りから自然と道を修正されるようなことが起こるんだろうなと思って、今考えれば全部必然的な流れで、遠回りしたような気もするけど、関東を出て熊本に行って、やりたいことを全部やってみて、カトラリー作家として雑貨を作ってマルシェに出展したり、(nelcoで)雑貨屋をやってたこともあったし、やりたいと思ったら何でもできるな、やればなんでもできるなってことがもう分かったんで、もう逆にそれはいいかなと、本当にやりたいことだったり、そのために自分が生まれてきたということだけこれからは集中するべきだってことにようやく気づいたんですね。でも最短だったって気もするんですけど。だから本当にありがたいというか。関東に僕が住んでバンドをやって、音楽だけで生活するってことが行き詰ることが良くあったんですよ。これ以上はもうバイトしないと無理だみたいなことがよくあって。バンドのメンバーももう毎週スタジオに入れないとか、ライブの本数も今までみたいに入れられないってなった時に、それじゃあもう東京にいてもしょうがないなって思ってた矢先に2011年の震災もあって、じゃあもう田舎で生活費もかからないところに引っ越して好きなことだけやれたらいいなってことで、2011年に熊本に行って、そのおかげでバンドの活動を優先せずに一人でライブできるっていう環境ができて、実際生活が成立していたわけです。まあその時はやりたいことはなんでもやってみようと思って、いろいろ手を出したけど、結局そういう形で音楽に集中せざる得ない状況になり、大分に引っ越して、今思えばうまいこと流れてるなあって思います。
――なるほどですね。お話を聞いてると、平井さん自身は本当に自然の流れに身を任せていて、環境がどんどん変わっていった感じですね。
平井:すべきじゃないことをやっていたら多分不幸が起きるし、やるべきことをやっていたらうまいこといくんだなっていうことを身をもって体験したこの6年間でしたね。そこまで準備が整って、よし!じゃあバンドでアルバムを録ろうってなった感じですね。
――確か去年のハイコーフェスの前くらいから、平井さんのギアが一気に3速ぐらい上がった感じがしましたが、今お話を聞いて思えば、まさにそのぐらいから今回の20周年に向かってたんですね。
平井:もっと早く出してたらそんないい形でまとまらなかったかもしれないし、今回馬力は出したけど、無理はしてないっていうかね。状況で向かうべき方向に素直に向かっていったというか。今、バンドの状況がいいと思うんですよね。いい意味でドライになった部分もあって。
――ドライですか?
平井:こないだ福岡でツアーファイナルを企画してくれた方がはじめてマーガレットズロースをみて「(メンバー間が)ドライですね」って言ったんですよ。久しぶりにメンバーと再会して時間を共有したい部分もあるんですけど、でもステージでまとまればいいっていうだけで、それ以上を望まなくなっていて、みんなバラバラに会場に到着して、バラバラにホテルを取って帰っていくという状況は主催の人から見たらドライに見えたみたいなんですけど。そういう風にシフトしたお陰でステージもすごく伸び伸びしているし。この年齢でバンドを続けている最高の形なのかなと思いますね。
――クロマニヨンズなんかフェスだろうと単独ライブだろうとメンバーは現地集合、現地解散ですからね。最近はほとんど打ち上げもやらないんじゃないですか?オフステージで盛り上がるとかも大してなくて、最近はライブが終ったら楽屋にすら立ち寄らずに速攻で帰るという話を聞いています。その一発逆転がステージ上でのあの爆発的な演奏とパフォーマンスですよね。「すべてはステージ上で成立すればいいんだ」っていう。ロックバンドって続けていれば自然と「ドライ」になっていくような気もします。
平井:まあ、それも僕らの場合は熱海君がいなかったら、かなり冷え切った感じだったかもしれないんですけどね(笑)。熱海君がいるお陰でドライながらも和やかな感じがキープできていてありがたいですよね。
――今回のツアー(東京、名古屋、長野、大阪、京都、福岡、全6か所)で一番印象的だった会場はどこでしたか?
平井:それぞれ印象的だったけど、まあネオンホール(長野)は重要でしたね。
――マーガレットズロースの聖地に帰ってきたっていう感じでしたか?
平井:もちろんお店のスタッフやお客さんとの再会も大きいんですけど、ネオンホールでよくライブをしていた頃だったり、2004年に「ネオンホール」っていうアルバムを出した頃のマーガレットズロースというのは、バンド間の熱量が「正三角形」だったというか。僕がガーっと行く時に、みんなも一緒に行くという感じだったんですよね。触ったらキレるぐらいの、その日死んでもいいぐらいのステージをやってたんですよ。でも、ここんとこ僕がフロントマンとして引っ張っていくというか、みんなは割と淡々と演奏するっていうスタイルだったと思うんですけど。それが今回のネオンホールの時に、久しぶりにメンバーが俺より先にいっているっていう瞬間があったんですよね。ライブ自体も良かったんですけど、アンコールでお客さんが「たんたんたん」をリクエストして(アルバム『ネオンホール』収録)、それぞれソロパートがある曲なんですけど、ベースソロじゃなくてハープで岡野が吹きまくるソロがあるんですけど、4人になってから、オリジナルアレンジの「たんたんたん」は一度も演奏したことがなかったんですけど、ネオンホールだし当時のアレンジでやりたいなって思って、でも構成とかも覚えてないし最初にリクエストをもらった時に、「できません」って言っちゃったんだけど、でももう「やるか?」「やっちゃうか?」ってなって始めたんですよ。そうしたらその瞬間瞬間で思い出して、僕が思い出す少し前にドラムソロが始まったり、床に転がっていたハープを岡野が取って急にブワーって吹き出して、それがめちゃくちゃカッコ良かったし、あの日観ていたお客さんの誰もが、岡野のハープが一番の最高潮だったんですよ。それで「あっ!岡野復活や!!」って思って(笑)。今まで同窓会的じゃないけど、久しぶりに集まって楽しくライブやって、「良かった、またねー」って、ストレスもなく、お客さんも喜んでくれていいね、っていうライブが続いていたけど、なんかそういうアクシデントというか、びっくりするような瞬間が久しぶりにあって、これは復活やっていうのがあったんですよ(笑)。それがこのツアーの最高の瞬間でしたね。
――なるほどですね。「たんたんたん」をリクエストした人はマーガレットズロースの往年のファンの方ですか?
平井:そうです。たぶん「ネオンホール」の収録ライブにもいた人だと思う。当時のブッキングしてくれた人が、今回もライブを観に来てくれて、今回のライブをひと区切りにしてこの先、バンドの活動に対して不安を感じたみたいで、ライブ後に「このまま終わっちゃうのはもったいないから、1年に1度でいいからネオンホールでライブの企画を立てたいって言ってくれて。僕は別にバンドを辞めるなんて言ってないんですけど、でもなんか解散を宣言したバンドを再び誘うみたいな気持で連絡をくれて嬉しかったですね。1年に一回のライブがネオンホールだったらアツいですしね。
今って若い人たちが夢見れるような状況ではないかもしれないけど、これからバンド始める子たちが僕らを見て「バンドを続けてたらこんなふうになれるんだ!!」と思ってもらえたら嬉しいし、夢を見せられるようなバンドになりたいな
――今後のマーガレットズロースや今年から始動した平井正也BANDについてはどんなイメージで考えていますか?
平井:全国各地にマーガレットズロースを応援してくれる人達の元気玉が集まった時にバンドが出現するなんて話を前にしたこともあったけど、来年は自分からマーガレットズロースを動かそうとは正直あんまり考えていないです。平井正也BANDはソロとの区別で言っているだけで、平井正也のソロアルバムを作るうえでのレコーディングメンバーで。そのメンバーでのライブは平井正也BANDのライブって考えていて、曲によっては参加する人も違うと思うのでいろんな形態になると思うんですけど、でもこの曲はマーガレットズロースでやったほうがカッコよさそうだなっていう曲もあるんですよ。マーガレットズロースはあくまでバンドなんでソロやアレンジを各メンバーに任せて、起こる結果を形にするんですけど、平井正也BANDに関しては、もちろんメンバーのポテンシャルは生かすけど、僕が舵をとって「この曲をやります」とか、「ここはこういううふうにしてください」とか言おうと思うんですけど。それでどこまで僕のイメージが形にできるか?それはバンドではできないことなんで。マーガレットズロースでやるよりソロのバンドでやったほうがいいと思って。
――10月にうーちゃんの企画で平井正也BANDを初めて観ました。熱いものをじっくり手に握りしめながら演奏している感じがしました。ほとんど新曲ですか?
平井:「部屋で歌ってる気持」という歌はマーガレットズロースの「やきそば」っていう初期のCD-Rに収録されている曲です。「darling」でアウトテイクとして録ったけど入らなかった曲です。
――平井正也ソロとしての来年の計画は具体的に何かありますか?
平井:今考えているのが、平井正也のソロアルバムをつくって、それを来年の僕の40歳の誕生日までに完成を間に合わせたい。それで実は6月10日に都内で「40曲ライブ」をやろうと思っているんです。それでその時にソロでもやるし、平井正也BANDもやるし、マーガレットズロースもやりたいと思っています。両バンドとも僕の音楽を表現する大事な引き出しですから。特にマーガレットズロースは自分とは違うひとつの生き物みたいな気がするけど、もともとは自分がはじめたバンドなわけで、僕の40歳ライブイベントの出演者のひとつとしてマーガレットズロースで演奏できたら象徴的なことかなって思って。まだバンドメンバーには話していないんですけどね。
――往年のファンも新しいファンにとってもそれは観たいライブでしょうね。
平井:ソロでライブハウスを借り切ってやることは東京ではなかったし。カフェとかばっかりで。ここまでバンドでもソロでもキャリアを積んで来たら十分できるだろうなと思ったんです。
――最後に今後、対バンしてみたいバンドはありますか?
平井:そうですね。例えば福岡のライブではオープニングアクトがあって、「ちくわクラブ」っていう医学部の学生バンドだったんですけど、まだこういうバンドがいるんだなって思って。前にアナログフィッシュの下岡くんと九州ツアーをまわった時に「最近こんな若いバンドが流行ってるんだよ」って、車の中で下岡くんが聞かせてくれて、「Yogee New Waves!」とか「ネバーヤングビーチ」っていうバンドとかだったんですけど。今、また新たに「はっぴいえんど」からの影響を受けてやってる人気のあるバンドを聴いて、僕らが受けたハッピーエンドの影響とまた違う部分を形にしている印象で、なんていうかいわゆる普通のエイトビートのロックじゃなかったんですね。でもすごくかっこよくていいなって思ったんですけど。例えば「ちくわくらぶ」は1996年にタイムスリップして結成当時の僕らと共演しても違和感がないっていうか。未来からきたバンドだって思わないなっていう印象だったんですよ。エイトビートのシンプルなロックンロールで。それはきっとロックンロールのもってる魅力だったりで、若い人たちにも十分通用するんだろうなって思ってうれしかったし、ロックのもってる可能性自体を確認して。特に新しいことを意識しないで、好きなことを続けていたら、若い世代とも出会いとかがあるだろうなって思って。僕がひとりで弾き語りをやって「いいな」って思ってバンドを組んでマーガレットズロースと対バンするとか、今後そういうことがあるとうれしいなって思いますね。
――なるほどですね。こないだ下北沢で平井正也BANDと共演した「ペトラザ」や「スーパーアイラブユー」とかもそういう意味では平井さんの音楽に影響を受けている若いバンドなんじゃないですか?
平井:そうだとしたら嬉しいですね。今何が流行ってるのかな?とか気にせずにやれてるので。そういうやり方で出会える若い人たちと繋がれるっていうのはありがたいですね。今の若いバンドをとりまく状況って優しくないと思うんですけど。僕らのころはまだインディーズマガジンっていう雑誌があったりとか、インディーズデビューっていうのがまだ形としてあったけど、今デビューってあいまいなものになっちゃったり、デビューアルバムのリリースとかね。今って若い人たちが夢見れるような状況ではないかもしれないけど、これからバンド始める子たちが僕らを見て「バンドを続けてたらこんなふうになれるんだ!!」と思ってもらえたら嬉しいし、夢を見せられるようなバンドになりたいなって思いますね。音楽が誰の所有物か?っていうときに、作曲者や演奏しているバンドのものだけじゃないなっていうのは年齢重ねて、バンドを続けて感じるようになったことで。それってきっとお客さんとバンドの間にある空間にあるもので。それを「とりにいくか、いかないか」っていうのはお客さん次第でね。リスナーに音楽を無理やり届けるっていうのでもなくて、ただそこに音楽を提示するっていうか。それをお客さんが自分で取りに行くものじゃないと自分のものにならないっていうか。与えられたものより、自分で獲得したもののほうが絶対自分の身体に馴染むっていうか、忘れないとも思うし。昔は出来た曲に対して愛情とか思い入れが強くて、どういういきさつで出来た曲だっていうのを話してから歌ったりしていたんですけど、話さないほうがお客さんは取りに来やすいだろうなと思って、僕が歌を手放したり、ポンと音楽を提示することでお客さんが自分のものにしやすいし、受け取ってくれたらそれはもうその人のもので、どう解釈してもらってもいいし、だんだんそういう感じになってきましたね。
――そういえば以前に「自分自身ををシェアする」ってどこかで言ってましたよね(笑)
平井:自分の存在自体もどこまでが果たして自分のものなのかな?って考えたら、やっぱり借りているものだったりすると思うし、いつか肉体は滅びますしね。何が自分の存在なのかな?って考えたら究極にはやっぱり「魂」だと思うんですけど、その魂のレベルになった時に、あんまり個人っていう概念がなくなってくるっていう。いろんな人と出会うけど、みんなひとつの魂の違う現れなんじゃないかな?ってことも考えたりしますね。初めて会う人でも初めて会った気がしないときとか、惹かれあったりするときとかあると思うんですけど、例えばお芝居を1人の人が何役も請け負って、ある場面ではこういう役、違う場面ではこうおいう役、っていうふうにいろんな役を演じている舞台みたいに、この世界自体はひとつの魂がいろんな役を演じ分けているようなとらえ方を最近していますね。みんな自覚はしていないけど大本はひとつで、場面場面だったり、生れてきた状況でその役割を演じているんですけど。時間を超越すれば1人で何役も演じているんだろうなっていう。(終)
マーガレットズロース20周年アルバム「まったく最高の日だった」リリースツアー@新宿レッドクロス(2016年8月20日)
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平井正也~不惑の40曲ライブ~
2017年6月10日(土)秋葉原クラブグッドマン
出演:平井正也、マーガレットズロース、平井正也BAND、マガズロサクセション、nelco
友情出演:yuichiro takahashi
OPEN16:30/START17:00
前売3000円/当日3500円(+1ドリンク)
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