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平井正也(マーガレットズロース)インタビュー(第2弾) 

2015.12.12  writer:

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2014年9月。平井正也さんは5曲入りのミニアルバム「ONDO」をリリースした。
その1曲目に収録されている「さよなら東京」は震災後に関東を離れ、熊本に移住した平井正也さんからのマーガレットズロースの名曲「東京」へのアンサーソングにも聴こえる。

「バンドの新曲にかなうものはないのだ。」

いつだったか平井さんがBLOGで書いていた言葉が忘れられない。
そして、「ONDO」のリリースから遡る事1年前、前回(2013年9月)のインタビューで平井さんはマーガレットズロースのことを「考えなきゃなっていうテーマであって、今はひとりで演奏することが楽しくて」とも語っていた。

「平井正也のロックンロール」と「マーガレットズロースのロックンロール」、似ているけれど何かが違う。
微妙なバランスで成り立っているその「何か」をもっと知りたい。
そんな想いで吉祥寺のライブカフェ「キチム」での弾き語りライブ後の平井正也さんに話を聞いた。

2013/12/01 吉祥寺「キチム」(文責・取材/利根川)



何をやっていても曲を書いてないと、なんにもやってない気がするんですよね。その負い目っていうか。「曲をかくためにこの世に生まれてきたんじゃないのかよ?」「何サボってんだよ?」っていう気持ちに常に追われているんですよ。 

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「こんぺいとう」(2002年発売)

――今日のライブでもそうでしたが平井さんは最近弾き語りで演奏される時、初期のマーガレットズロースのアルバム「こんぺいとう」の曲を歌われることが多いのはなぜですか?

平井:「こんぺいとう」(2002年発売)を作った頃って、本当に純粋にまっすぐで、起きている間中はずっと音楽のことを考えて、ずっとメンバーのことを考えていて、なんにもないところから、どうにか形にしようと思ってやっていたんです。でも今こういうふうに曲を書けるって方法もあったり、「何もないところから音楽を作っているか?」とか、「どんだけ真剣に音楽に向き合って作っているか?」って考えたら、やっぱりちょっと「こんぺいとう」の頃にかなわない部分があって。それで、「すごいな」って自分で再発見して「歌いたいな」って気持ちが強くて、「こんぺいとう」からの曲をよくやっているんですけどね。

――初心に立ち返るみたいな?

平井:そう、だからスマホを止めたのとかも同じ事でね。「スマホを見るよりノートに歌詞書こう!」とか。もう一度曲で勝負したいって気持ちが強くなってきて。

――なるほどですね。ちなみに最近出来た曲はありますか?

平井:いや、もう全然ちゃんと出来てないんですよ。「ズロパン(マーガレットズロースとギターパンダ)のテーマ」とか、「しそにぬギター部の歌」とかは書いてるけど(笑)。何もないところから作ってるんじゃないんですよね。なんていうか「こういうギター部のイメージに合う曲をつくろう!」とか。頼まれて作ってるわけじゃないけど、「こういうのがあったらみんなで歌えるかなあ?」とか。「初心者でもギターで歌えるようにツーコードで作ろう!」とか。でもそれって、本当にゼロから作ってるわけじゃなくて、「コンセプトありき」だったりするから。「本当に俺は今何を思ってるのか?」とか、「何を感じているのか?」とか、「日本語に対してどんだけ向きあってるの?」っていうことにもう一回挑戦したいっていうか。なんとかひねり出そうと今しているところなんですけど。

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「雛菊とみつばち」(2001年発売)

――なるほどですね。今までマーガレットズロースとしてリリースされた作品を数えたら12作(「薮こぎ」のCDR含)ありますが。「まずコンセプトありき」ではなくて、何もないところから作り上げたのはやっぱり「こんぺいとう」が最初ですか?

平井:1996年にマーガレットズロースを結成して、2001年に出したファースト(「雛菊とみつばち」)は5年間のベストアルバムっていう意味合いがあったけど、2枚目の「こんぺいとう」はまだ未発表の曲があって、ファーストアルバム以降に出来た新曲だけで作ったんですよ。だからその時の生の気持ちがパッケージされている感じがすごく強くて。でもその後「どうすればもっと売れるかな?」ってこともすごく考えてしまって(笑)。

――でもそういう気持ちって、きっとマーガレットズロースにとってはすごく大事なことですよね。それがあったからこそ今まで続いているんだと思いますし。「こんぺいとう」以降のアルバムは「まずコンセプトありき」みたいな感じだったんですか?

平井:いや、「darling」(2010年発売)までは本当に曲に引っ張られて、「こういうアルバムつくろう!」って思って曲を書いたわけじゃなくて、「こういう曲が出来たからこういうアルバムになった」って感じでずっと曲が先行だったんですけど。アルバム一枚ごとに解説していったら、コンセプトがまったくないわけじゃないけど。とにかく最初は「ライブで演奏しているマーガレットズロースの魅力をどうすればCDに出来るのかな?」っていうことだけでした。だから綺麗な音で録りたいとか全然思ってなくて。どんなサウンドを狙うとか、そういう概念がそもそもなくて。「いいライブ音源を録りたいな」っていう。そんで結局ネオンホールでライブ盤を録るっていうところまで結果的にいっちゃって(笑)

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「ネオンホール」(2004年発売)

――ライブアルバム「ネオンホール」(2004年発売)ですね。

平井:そう。だから「こんぺいとう」なんかを曲順通りに一回づつスタジオでライブしたんです。本当に曲順通りに演奏したんですよ。

――いわゆる「一発録り」ってことですか?

平井:そうそう。3枚目の「こんな日を待っていたんだ」(2003年発売)でスタジオワークにはじめて挑戦したんですけど、なんか煮え切らない形になっちゃったんです。あれはあれですごくいいサウンドだとは思うけど。録音からミックスマスタリングをやってくれたピースミュージックの中村宗一郎さん、ゆらゆら帝国とかのエンジニアさんのスタジオでやったんですけど、僕らが例えば「こういうサウンドを作りたい」って言ったら、絶対そのサウンドを作るための最大限の努力をしてくれて。最大に機材を駆使してイメージに近づけてくれたんですけど、僕らはただ「なんとなくいい感じ」とか「古い感じ」とか、「グッとくる感じ」とか、全然具体的に言えなくて(笑)、「誰の何年のなんていうアルバムのこういうサウンドで録りたい」っていうのが全然伝えられなくて、ただこう「熱い演奏がしたい!!」みたいな感じだったんですよ。それで初めてボーカルを別録りで録音した3枚目のアルバムは、今までのライブ感とスタジオワークとがちぐはぐな感じになっちゃって、すごい試行錯誤してもんどり打って頑張ったんだけど、結局中村さんに「アツく演奏するんじゃなくて、『アツくやってるふう』に演奏しなくちゃ伝わらないんだよ」って言われたのが、その時は全然理解できなくて。「本当にアツくやんなくちゃダメでしょ?!」って当時は思ってたんですけど。でも「アツくやってるかどうか?」よりも聴いた人がそのサウンドにグッときたり、「アツい!!」って思わなきゃしょうがないわけで。それは今すごい理解が出来るんですけど。中村さんがその時言ってくれてたことは。でもそこがすごいちぐはぐだったんですよ。「こういうサウンド狙ってるんだけど、どうすれば録れますか?」っていうようなコミュニケーションがなくて、「長く聴けるようなアルバムにしたい!!」とか、「派手じゃなくていいから、温かい感じにしたい!!」とか、そんなコミュニケーションしかできなくて、まあ最終的に形にはなったんだけど、録り終わった時は、「俺たち本当にこれが録りたかったのかなあ?」っていう煮え切らない感じがあって。それでライブハウスでは一番好きな場所の「ネオンホールでライブレコーディングするしかない!!」ってなったんですね。ステージの上でぶっ倒れて死んでしまってもいいっていう気持ちでライブして、でもその時はそれがベストだと思ってやったけど、結果的にライブを超える録音は出来ないってことが分かって(笑)極端にライブ感を求めていたんだけど、ライブ以上にライブ感がある音源を作ることは不可能っていうことがわかって。本当に僕がステージでぶっ倒れたとして、「お客さんは本当にそれが見たいのか?」っていう疑問だったり。なんかこう、こっちは本気の本気でやってるんだけど、逆に痛々しかったりBGMにならなかったり、それはそれで「青春の爆発」だなって今では思うんだけど(笑)スタジオでレコーディングして出来ることっていったらもっと他の可能性があるのかもしれないってことはライブレコーディングっていう極端な方法をやってみてはじめて気がついたことですね。

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「どどど」(2006年発売)

――なるほどですね。アルバム「ネオンホール」でフィジカルなライブ感を限界まで突き詰めたからこそ、マーガレットズロースが次に進むべき風景が見えたみたいな?

平井:そうですね。それで気が済むまでライブ感を求めたいっていう時期が終わって、「じゃあその曲の良さをどういう方法で伝えたら一番伝わりやすいのか?」ってことを考えて録ったのが、「どどど」(2006年発売)ですね。はじめてスタジオワークに目覚めたっていうか。「ミックスってこんな事ができんの?!」みたいなことが初めて分かった。曲によって録り方や狙いを変えてみたりとか。フィッシュマンズと出会った時期だったのも大きかったかもしれませんが。

――フィッシュマンズと共演されたりもしてたんですか?

平井:いや、マーガレットズロースの結成時点で佐藤さんは亡くなってました。単にフィッシュマンズの曲の良さに気づいたりとか。お客さんからちょこちょこ「フィッシュマンズ、好きなんですか?」って言われて気になっていたりはしたけど、ちゃんと聴いていなかったり最初はグッときてなかったんです。でも「これはすごい!!」って「どどど」の頃に思って。サウンド面での影響も僕らなりに受けて。あとは「どどど」から自主レーベル「OFFANレコード」を立ち上げて、そこから録音、ミックスマスタリングまでずっと一緒にやってくれている人がいて、「マーガレットズロースのロックンロール」まではずっと松本さんていう人とタッグ組んでやってたんです。

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「ボーっとして夕暮れ」(2007年発売)

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「マーガレットズロースのロックンロール」(2009年発売)

――「どどど」からサウンド的にもマーガレットズロースは変わっていったんですね。「ボーっとして夕暮れ」もその流れで生まれた曲ですか?

平井:そうですね。いろいろゲストたくさん入れたりホーンセクションを入れたりしたのが「ボーっとして夕暮れ」(2007年発売)です。そしてマーガレットズロースのそういう方向性はやりきって、ゲスト無しで3人だけで録りたいってなって録音したのが「マーガレットズロースのロックンロール」(2009年発売)です。その後「darling」(2010年発売)からは今度MIDIと契約して。大蔵さん(MIDI RECORDCLUB代表取締役社長)から「もう一度MIDIでやらないか?」って声かけてもらって。僕ら本当にリリースするごとにレーベルが変わってるんです。ファーストアルバムは「カフェオレーベル」で、セカンドは「Oooit」ってとこで。3枚目で「MIDIクリエイティブ」っていうMIDIのインディ部門。で、ネオンホールも「MIDIクリエイティブ」だったんだけど、その2作で離れて自主レーベルを作ってリリースしたんだけど、今度はMIDIの大蔵さんが「一般流通でやってみよう」って言ってくれて。大蔵さんはその頃身体を壊してて、気がかりな人や一回MIDIを出て行ったり手をかけたけどまだ形になってない人達をちゃんとさせたいっていうのがあったみたいで、それで声をかけてくれて。すごく厳しい人だから「出戻り」はありえない人なんですけど、なんか声をかけてもらって(笑)。おかげさまで「darling」を出せたんですけどね。

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「darling」(2010年発売)

――4人目のマーガレットズロース、熱海さんがギターで加入された時期はこの頃ですか?

平井:そうですね。熱海君は最初サポートのギタリストとして入って。「darling」は山川のりをさんと熱海君とが半々で弾いてくれて。

――僕が最初にマーガレットズロースのライブを観たのって、3人編成の頃で「darling」はまだ出てなかった頃ですね。

平井:福岡で観たのが最初だったんですっけ?だとしたら「マーレットズロースのロックンロール」のレコ発ツアーですね。

――そうだ!ライブ後に物販で「マーガレットのロックンロール」を岡野さんから買ったことを今思い出しました!(笑)3人ズロースと4人ズロースでやっぱり違いましたか?

平井:うん。でもあんまり違わないから4人でも自然にやれてるのかもしれないですけど(笑)。一番最初は「世界は変わる」(マーガレットズロースのホールイベント。同じ自主イベント「薮こぎ」よりも大規模)を続けていて、集客を伸ばしていきたくて、大きい出来事をこっちでつくって「ギターを入れて4人でやるっていうのはどうか?」っていうのが最初に熱海君に入ってもらったきっかけだったんじゃないかな。僕は当時ギターを弾かずに歌いたい気持ちがどんどん強くなっていって。なのでかっこよくギターを弾く人を探していたんです。

――なるほど。平井さんがオンマイクでボーカルに専念しようと思ったのはなぜですか?

平井:単純に「ギター重いな」とか「機材にお金かけるのやだな」とか、すごいセコイ理由です(笑)。歌だけ歌いたいなって思って、いろんな人とスタジオ入ったりしたんですよ。そんなかで熱海君に出会って僕が本当に若い頃衝撃を受けた「スタンド」っていうバンドがあって、その「スタンド」のボーカルのクボタさんが今やっている「クボッチモニー楽団」っていうバンドを観にいった時にそこでギターを弾いていたのが熱海君で、その場で声かけて。

――3人で完成していたバンドに後から加入し、違和感なく演奏できるってすごいですね。

平井:そうですね。あとはもう3人が長くやっている空気が段々辛くなってきちゃったっていうのもあって(笑)。何か新しい命を吹き込まないと続けられない感じがあったんですね。結果的に熱海君が来てくれたことでバンドが生き延びたんですけど。おかげで今は全然和気藹々と4人で話せてます(笑)でも熱海君は最初メンバーになりたがんなくて、「入ってもすぐに解散しちゃうじゃないか?」って思ってたみたいで。あんまりにも空気が悪かったみたいで(笑)。僕と粕谷とかがすぐ喧嘩したりとかするから。喧嘩というか意見が全然合わない(笑)。いろんなテーマで話しても真逆なんでね(笑)。このバンドはもう近いうち解散するだろうな?って思ってたみたいで。それで頑なに「自分はサポートで」って彼は言ってたんだけど。いつしかスタジオ代を払わされるようになったっていう(笑)僕が熊本に行ってから、粕谷と岡野でスタジオ代を払わなくてはならなくなって高いっていうことで「熱海君もスタジオ代払って」って言われて正式メンバーになった(笑)だから熱海君がマーガレットズロースに正式加入したのは僕が熊本に行って以降ですね。

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――僕が熱海さんが入った4人のマーガレットズロースのライブをちゃんと観たのって2011年の「夏の魔物」からです。だから考えたらまだすごい最近です。今後のマーガレットズロースに平井さんとしてはどんなイメージを持たれていますか?

平井:なんていうか、触れちゃいけないところに触れないことで、なんとか続いているっていう、正直に言えばそういう部分もあります。本当に「お前やる気あんのかよ?」みたいな話をしたら「そんなのできるわけねーじゃん」みたいなことになるんで。それでもこの人達とやりたいからそこは触れずにいるみたいな形です(笑)。ぶっちゃけ正直に言えばね。だから「ラーメン食おうぜ」とかどうでもいい話で楽しく話せるしライブはライブで、僕はほんとにもちろん楽しいけど、音楽は自分にとって仕事じゃないですか?でもみんな全然仕事と思ってないですからねバンドは。まあそこを突き詰めて話は出来てないけど。まあでも日ごろの日常を離れて息抜きを含めてリフレッシュする意味も絶対あると思ってて。みんなにとってのツアーの意味合いは。でもそのために休みを取って来てくれているのは絶対無理して予定を空けてくれているのはあるけど。せっかく仕事も休んできたから、もうほんと楽しくやろうっていう感じでみんなやってると思うんですよ。お客さんを集めてなんとか交通費よりプラスにしようっていうより、そんな余裕はないと思うんですね。売れたいとか、誰でも知ってるバンドになりたいっていう気持ちが強かった時期はあったけど、それがバンドなのか?ソロなのか?わかんないけど、メディアにバンバン出るものにしたいっていう気持ちは今全然ないんですよね。そうなったら楽なのかなあとも思うけど。今、完全に夢が叶ってるんじゃないの?とも思うんですよね。だから今の状態は本当に幸せで後は自分が感動できる曲がかけているか?どうかっていう、本当にそれだけなんですよ。何をやっていても曲を書いてないと、なんにもやってない気がするんですよね。うん、その負い目っていうか。曲をかくためにこの世に生まれてきたんじゃないのかよ?何サボってんだよ?っていう気持ちに常に追われているんですよ。

――なるほどですね。平井さんは絵も描かれるしポスターのデザインもするし文章も書かれますけど、そういう表現と音楽は根本的に違うことですか?

平井:うん違うと思います、一番苦しいし(笑)。絵を描くのとかはもう全然苦しくない。お金が絡んできたりしたら苦しいのかもしれないけど、今は全然苦しくないし、すぐ思いついちゃう、本当に楽しいし。でも別に俺じゃなくてもいいっていうのがあるから気楽に描けるんだと思うんですけど、別にこれは誰が表現してることじゃないか?とか、本当に突き詰めて自分にしかできない表現て、絵画では何なのか?とか、考えずにやってるから出来るんだと思うんだけど。音楽はもう自分がやんなきゃいけないことをやろうって気持ちでやってるから、俺にしかできないことをやりたい。だから苦しいって部分が消えない。

――失礼ですがスランプとかではなくて?

平井:スランプっていうのは技術的なものだったりするんだと思うんですけど。曲が書けない訳じゃなくて、曲を書く原因が自分の中に見つけられないっていうこととか、もっと根本的なことですね。「俺、今何を感じているかな?」っていうことに対して鈍くなっていっているから書けないんだと思うんです。感じてないわけじゃないとは思うけど、鈍くなってるんですね。きっと。本当に自分の心に敏感になって形にしようと努力しているかしていないか?っていうことなんだと思うんですよね。今はスマホを止めたしてどんどん自分に向かっていってます。だからしばしお待ちください。必ずやりますよ。

――なるほどですね。ここにきて平井さんの中で何か新しい変化がはじまっているのかもしれませんね。

平井:ライブの作り方がだいぶ変わってきたんです。バンドがやりたいけど、ずっとできなかった自分のソロライブで「バンド感をどう一人で表現するか?」ってことに向かってたけど、それは「マーガレットズロースがどうライブ感をアルバムにパッケージするか?」みたいな無理が生じたのと同じで、結局ソロはバンドじゃないんで、どうバンド感を演出してもソロなので、バンドには勝てないんだけど、でもその足りない部分の面白さみたいなのを感じて積み重ねてきたものがあって、でもそれが逆に仇になってバンドで集まった時に僕だけひとり浮いちゃったり、僕が思ってた「バンド感」とずれてたり、そこでもう「バンド感を出さなくちゃいけない」っていう縛りから開放された部分があるんですよ、ソロライブで。もう本当に盛り上げなくちゃいけないって使命感があったりしたんですけど、最後には皆が「わー!!」って目に見えて盛り上がらないと、お金払って見に来てくれてそういうのがないのは悪いんじゃないか?みたいな使命感を勝手に駆られてやってたんだけど。でも分かりやすい興奮や盛り上がりじゃなくても歌を聴いて、心の中で盛り上がったなら、それは見えなくてもいいんじゃないかな?と思って。流れとか気にせずにこの歌の力を届けるライブをしてもいいんじゃないか?ってようやくソロになって思って。「今日は盛り上げない!」と思って静かにライブをやった時に逆に盛り上がったりして、「あ!こんなふうにやっても盛り上がるんだ!」って思って。「煽んなくても盛り上がるんだ」って。テクニックや強引さとか、気合とか、それがやれるかやれないかで盛りがったり逆だったりするけど、でもそれって音楽の力とは違うから、もっと純粋に歌の力でそうしたい。つい最近のライブはそうなってきています。だから今日も「石鹸」も「どん底」もやんなかったし。

――あっ!考えてみたらそうですね。そう意味では全然物足りなさも感じなかったです。

平井:そうだったら嬉しいです。熊本に移住して、これをやればお客さんも悔いはないだろうっていう鉄板のセットリストを組んで変化なくずっとやってきていて。ある意味、東京で演奏する時は東京っていうホームがあるから、毎回セットリストを変えないとお客さん飽きちゃうから。ホームがなくなったから。熊本もまだホームっていうよりは初めて聴く人多いし。だからいつもベストの選曲でライブをやれる状態にあって。だから「べいびー」や「石鹸」や「斜陽」なんかの鉄板セットリストを用意してやってたんです。でもこないだ、もっと自分のためにライブをやってみようかなとか、盛り上げなくていいって気持ちでやってみようと思って、それが楽しくて、目茶苦茶たくさん歌って。そこからですね。怖かったんです、やっぱり盛り上がらないのが、お客さんが静かなのが。

――平井さんでもそんなことを思うんですね。

平井:いや、本当ですよ、毎回超ビビッてやってるんで、お客さんが目に見えて盛り上がらなかったら怖いんですよ。正直言ってそうなんです。だからこのままひとりで「ロックンロール!!」って言ってずっとやっていくのかな?と思ったけど、ちょっとやり方が変わりそうです。バンド前提の表現だったからね、今までは。今後はその前提がどうなるかわからない。もっと音楽に向かっていきそうです。絶対「石鹸」とかやったら盛り上がるのは分かるんですけど。こっちゃん(島崎智子さん)とか、よくあんなお客さんが静まり返った状態で歌に入っていけるなって思いますよ(笑)こっちゃんとふたりでインタビューしてもらえたら面白いと思いますけど。

――その際には是非「対談形式」でお願いします(笑)

平井:こっちゃんと話すと自分でも思いがけない言葉が生まれるというか。こっちゃんは「最近、(心の)鍵を壊した」って自分で言っていますけど。僕から見たらあの人は最初から鍵なんかかかってなかったと思ってるんですけどね。 (終)

 

■マーガレットズロースライブ情報

2月17日(火)浅草KURAWOOD

マガズロ・サクセション、藤原亮+高橋元希( ex.フジロッ久(仮))、他

2月27日(金)新宿レッドクロス

マーガレットズロース、Helsinki Lambda Club、挫・人間

マーガレットズロースHP


なんにもなかった夜には

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島崎智子 ゆっくりマンボーさん

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